首都ベルリンも東西に分かれていましたが、1961年に突如東側が西ベルリンを占拠し壁を作り始めました。
これが東西冷戦の象徴でもある「ベルリンの壁」です。
この壁により多くの家族や知人・友人が不本意に引き離されました。
このビデオは、その時代の東ドイツから西ドイツへの命がけの脱出を描いた物語です。
【この動画、考えさせられる!】をふり返ってみた
1945年5月、ドイツは第二次世界大戦のヨーロッパ戦線において無条件降伏をしました。
7月にはドイツと勝戦国の間でポツダム協定が結ばれ、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連でドイツは分割占領されることになりました。
それにより首都ベルリンも4か国の分割管理で統治されることになります。
その後、ドイツは西側(米・英・仏)と東側(ソ連)で対立を深めていきます。
1949年にはそれが頂点に達し西側管轄地域にドイツ連邦共和国(西ドイツ)、東側管轄地域にドイツ民主共和国(東ドイツ)が誕生します。
韓国と北朝鮮、中国と台湾とか。
実現していれば東北を境に2つの国になっていたかも。
ソ連や中国は不満だったらしいけど。
でも、西に会いたい人がいるわけだから命がけで脱出する人たちがいた。
それと東は社会主義だから自由があまりなく西の方が裕福だったからね。
約200人が殺害され、3000人が逮捕され、成功したのは5000人くらい。
だから壁の下にドンネルを掘って脱出をする人たちがいた。
また、西側の人はクルマで東側に入りやすかったから帰りに誰かをかくして脱出させることが多かった。
ちなみにあのかわいいクルマはなんですか?
BMWイセッタ
全長2.9m、全幅1.4m、高さ1.375mで日本の軽自動の規格よりはるかに小さいものです。
2人乗りで、今では考えられないですが前面のボンネットを開けて乗り降りします。
エンジンはオートバイの250㏄エンジンを流用しており、イギリスへの輸出車は後輪が1輪の3輪自動車になっています。
当時は、イセッタみたいな小さなクルマに人がかくれるなんて思わないからそこが盲点だったんだね。
救出した人はクルマの整備経験があったから、人がかくれるスペースを改造して作ることができたんだ。
クルマがイセッタみたいな使われ方をしないように願っているんだ。